~今後の予定~

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29 settembre, 2010

Jurnal de România Număr.5

こんにちは~。

今日の東京は陽射しがあって、洗濯日和。

昨日の雷雨はなんだったんだろう…。
その後晴れて、あの一番ひどい時に外にいた私…。
なんか残念。

さ、今日も旅日記。


19.Septembrie


昨晩のConcertも無事に終わり、
打ち上げで、ワインをいつもより多く頂き、気分良くホテルに戻り、寝たのは2時過ぎ。

翌日は10時から観光で、ガイドさんをお願いしていたので、
朝、ぼや~っと活動開始。
観光は、友人のなおと一緒に。
ちなみにガイドさんは、今回合唱団のツアーガイドだったDanさんでした。

Danさんとは私のホテルで待ち合わせして、その後なおが泊まっているapartamentoに。


特にコースが決まっているわけではなく、お話ししながら、行きたいところに連れて行ってくれる…というスケジュール。
私たちは半日観光をお願いしていたので、4時間だけ。
その短い時間の中で、私たち2人で行けない所、車を使わないと難しい所をお願いしました。


まずは、

『Palatul Parlamentului(国民の館)』


どうやら予約もできないし、すぐに入れるか分からないし、もしかしたら休館しているかもしれない。
ってことで、Danさんが電話してくれながらも、とにかく行ってみようという事で行ってみた。

まだ時間も早めだったのが良かったらしく、2グループ目の団体(英語ガイドさん付)と一緒に入館。
現在は、いわゆる日本の国会議事堂のような存在なので、入る時のセキュリティチェックもあった。

カメラ撮影するのもお金がいるので、この目にしっかり焼きつけて帰る事にしました。

とにかく、総大理石。外観もばかでかい。
ペンタゴンに次いで世界で2番目の大きさ。

使われてる大理石も1種類ではなく、グレーや、ピンク、アイボリー…など、色々。
そしてすべてルーマニアで採ったもの。
ちなみに職人さんもルーマニア人だけ。

これが入口。正面じゃないのにこの威圧感…。


こっちが正面。(ちなみに見学後に道路の隅っこに停まって、車の中から撮ってたら、Politiaがどけと来た)









「国民の館」って名前も、国民のための館…じゃなくて、国民が作った館って意味なんですね~。

細かい彫刻も、特注のなが~いカーテンも。
そして、チャウシェスクとその妻エレーナのための部屋に続く階段も、すべてチャウシェスクのために作られたもの…。
階段は160㎝のチャウシェスクが前を見たまま降りてこられるよう、段差も計算されて作られたそうで。
本人自ら降りてみて、納得するまで何度も作り直しさせたらしい…。

壊した階段の大理石はどうするんだろ…というのは愚問?

建物内部にあるシャンデリアもすべてクリスタル。
一見プラスチックに見えない?とDanさんに話したら、届くところをちょろっと触ったところ、クリスタルの音がしました…。

この良くガイドブックに載っている、統一大通りも、パリのシャンゼリゼ通りを見本に作られたらしく。
でもシャンゼリゼ通りよりもちょっとだけ広く、そして長く…プライドですね…。













小パリと言われた昔ながらの街と、チャウシェスクが目指した街。
混在しているのが顕著に現れてました。

当時のチャウシェスクの思想が垣間見えました。

3100あるお部屋、今では会議室に使われている部屋も多くあってすべてが大理石なんですが、
一つだけシナイアSinaiaにあるCastelul Peleşペレシュ城の作りに似せたお部屋もありました。
この部屋だけは床も木造。木の温もりと、木の香りが感じられました。

あと、体操選手のコマネチが結婚式をあげたのもここです。

ちなみに今は民間にも貸し出しているということですが、相当な金額なようです。



さて、国民の館の次は『Piața Revolției』『Senat』
革命広場と上院(旧共産党本部)です。

革命広場は1989年のルーマニア革命の銃撃戦となった場所。
そして、チャウシェスクが演説してその後ブーイングを受けてヘリコプターで逃げた…という場所ですね。

詳細→1989年12月にチャウシェスク大統領が演説中に集まった市民がデモを起こして銃撃戦となった場所で、この暴動が全土に拡大して数日のうちにチャウシェスクの逮捕、処刑に至り、民主化が実現しました。













なんかたった20年前にあった出来事なんだよな~と、実感が湧かないのは…。
当時ニュースでも流れてる筈なのに、その時小6だった私には、湾岸戦争の方が衝撃が大きかったからなんだろうな…。
私よりも少し年下のなおがかすかに覚えているって言ってたし…。

この広場にはその時の銃撃戦で命を落とした方たちを追悼する慰霊碑と、名前の刻まれている碑があります。


















そしてその革命広場のすぐそばにある『Biselica Kretzulesc』
ルーマニア正教のクレツレスク教会。18世紀のもので、ルーマニア独自の建築様式なんだそう。















このあとまだまだ続きます。

社会的な一面を見たところで、このあとはまた違うBucharestを観に行きました。
続きはまた~。


CizuRu:)

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